「乳腺外科医事件」裁判の争点 【前編】

提供元:CareNet.com/企画:協和企画

 手術直後の女性患者への準強制わいせつ罪を問われた執刀医が、逮捕・勾留・起訴された事件。一審では無罪判決が言い渡されたが、検察は控訴し、争いは現在も続いている。この事件に関しては、ネットを中心として被害者とされる女性に対するバッシングと、医療者に対するバッシングがそれぞれ見られる。しかし、本件では「麻酔(注:本件ではプロポフォールやセボフルラン、笑気等が使用されていた)の影響で幻覚を体験した可能性がある」 として無罪判決が下されており、事件の本質からすると、女性も医師もある意味で被害者といえる。

 何が本件の争点となり、このような不幸な事案を防ぐために何ができるのか。担当弁護人の1人である水沼 直樹氏に、実際に法廷で論じられた2つの争点について、前・後編で解説していただく。

前編:科捜研による鑑定に問題点!?

1.事案の概要

 2016年某日、右乳房の良性腫瘍摘出術を受けた患者が、術後30分以内に2度回診した執刀医から、(1)1度目は左胸(健側部)の乳頭付近を舐められた、(2)2度目には患者の左胸を見ながら医師が自慰行為をしていた、との被害を訴えました。同日中に臨場した警察官が、患者の左乳頭部付近を微物採取。鑑定の結果、医師のDNA型と同型のDNAが検出され(DNA濃度:1.612ng/µL)、アミラーゼの陽性反応があったとされました。

2.証拠関係

 検察側の主な証拠は、執刀医が患者を舐めていたという患者の目撃証言と、患者の左乳頭部付近から採取された医師のDNAおよびアミラーゼ陽性という鑑定書でした。

3.争点

 争点は、2つあります。1つは、患者の被害証言(目撃証言)の信用性です。すなわち、患者の被害体験が麻酔薬等によって発症したせん妄による幻覚であるか否か。もう1つは本件鑑定書の信用性、すなわち、科学捜査研究所の鑑定に科学的許容性があるかです。なお、これに付随して、医師のDNAおよびアミラーゼが、上記犯行以外の機会に、患者の左乳頭部等に付着する可能性があるか、が争われました。

4.鑑定の問題点

 本件鑑定には、いくつか問題点がありました。まず、アミラーゼ検査の検査方法の詳細が不明であり、アミラーゼ陽性を示す結果(アガロースゲルの呈色反応結果)の写真がありませんでした。また、結果の確認は検査担当者だけが目視して、「+」とワークシートに記載していました。しかもワークシートは、都度記載するようにと通達に定められているものの、後からまとめて記載した疑いがありました。さらに、ワークシートは「鉛筆」で手書きされており、少なくとも、消しゴムで消して鉛筆で上書きした痕跡(日付や実験日時、ロット番号等を含む記載)が7箇所、消しゴムで消した痕跡が2箇所ありました。

 他方で、DNAの定量検査にも問題がありました。定量検査は、濃度が判明している既知試料(標準試料)と対象となる鑑定試料を同時に測定し、既知試料との比較において定量する検査方法ですが、科学捜査研究所の定量検査は、鑑定試料だけを測定していました。その結果、得られた定量値の正確性が問題となりました。

 さらにもう1つ、陽性反応を呈したアミラーゼ検査のゲル平板やDNA鑑定に用いた抽出試料、定量結果を示す増幅曲線や検量線図等が、2016年のうちに廃棄されており、検証が不可能となっていました。

5.鑑定の信用性に関する主張と裁判所の判断

 裁判所は、ワークシートが鉛筆書きされ、しかも記載が消しゴムで消されていたこと等は、鑑定者の職業意識の低さに由来し、また、検査結果のデータ資料が廃棄されたこと(鑑定者が破棄を阻止しようとしなかったこと)等は、鑑定者の誠実性を疑わせる事情であるとしました。また、標準試料との比較をしないで鑑定試料だけ定量検査した場合に、なぜ検査結果が信用できるのか判然とせず、検査差の信用性には一定の疑義がある等としました。

 後編では、せん妄の可能性に対してどのような判断が下されたか、本件のような事例を防ぐための対策について解説します。

後編はこちら


講師紹介

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水沼 直樹 ( みずぬま なおき ) 氏
文京あさなぎ法律事務所 弁護士

[略歴]

東北大学法学部・日本大学大学院法務研究科卒業。
都内で法律事務所勤務の後、亀田総合病院の内部専属弁護士を5年超にわたり務め、現在に至る。
東邦大学医学部非常勤講師、日本がん・生殖医療学会(兼理事)、日本睡眠歯科学会(兼倫理委員)、日本法医学会・日本DNA多型学会・日本医事法学会・日本賠償科学会・日本子ども虐待防止学会、日本麻酔科学会医事法制研究会、オートプシー・イメージング学会(兼アドバイザー)、日本医療機関内弁護士協会(代表)の各会員ほか。医療系学会や医療機関からの医療安全講演についても実施している。


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