
[ レポーター紹介 ]
大場 崇旦(おおば たかあき )

2009年3月 信州大学医学部医学科卒業
2009年4月 JA長野厚生連長野松代総合病院初期臨床研修
2011年4月 信州大学医学部外科学教室医員
2013年4月 信州大学医学部外科学教室乳腺内分泌外科学分野医員
2017年3月 信州大学大学院医学系研究科修了 博士号(医学)取得
2018年8月 Roswell Park Comprehensive Cancer Center, Center for immunotherapy, Postdoctoral fellow
2020年8月 信州大学医学部外科学教室乳腺内分泌外科学分野診療助教
外科医としてキャリアをスタート後、米国Roswell Park Comprehensive Cancer Centerに基礎研究留学され、現在は帰国して信州大学外科学教室で乳腺内分泌外科学分野の診療助教として勤務する大場 崇旦氏に、日米の研究環境の違い、帰国後のキャリアプランニングなどについてレポートいただきます。第4回では帰国後のキャリアの考え方や、留学を経て変わったことについてお伺いしました。
元の病院に戻る=日本人特有の考え方!?
ちょうど丸2年間の留学期間を終え、現在は信州大学医学部附属病院乳腺・内分泌外科にて診療を行っております。当然ではありますが、留学中のような研究漬けの生活というわけにはいかず、正直、日々の診療業務に追われ、ただ時が流れていく毎日です。大学病院ですので、臨床・教育・研究の3本柱でやっていかねばならず、研究のみに集中すればよかった留学中からは考えられないような生活を送っています。今後はこの3本柱をバランスよくこなしていかねばならないと感じています。
留学中には、ポスドクの後はどうするんだ? と、よく周りから聞かれました。日本に帰国して、元の病院に戻る予定と言うと、どうして戻るんだ、ステップアップしないのかとみんなが不思議そうにしていました。どんなポジションでも常にキャリアアップを目指しているアメリカ人のメンタリティからすると、お世話になった場所に戻るという、日本人的なメンタリティは理解不能のようでした。一方で、私はマンパワー苦しい中、留学に出させてもらったという事情もあり、自分としては戻る以外の選択肢が浮かばず、そんなところからもやっぱり自分は日本人なんだなぁと感じたものでした。
桁違いのグラント額、基礎研究分野での日本の立ち位置
留学を経て変わったことは、グローバルな視点から日本の置かれている現状を意識できるようになったことがまず挙げられると思います。日本で生まれ、日本で生活していると、あまり不自由なこともなく生活できてしまうためか、未だに「Japan as No.1」の時代が続いているのではと錯覚してしまうこともありますが、少なくとも基礎研究の世界では、完全に世界からは置いてけぼりをくらっているような現状であるかと思います。
数多のノーベル賞受賞者を輩出しているように、研究者としての資質で劣っているわけではないとは思います。その原因は、日本の基礎研究者を取り巻く環境にその問題があるのではないかと思っています。米国でのグラントの額などは日本と比べると本当に桁違いで、研究者として生き残っていくのは大変ですが、大規模なグラントを獲得できればあれやこれやと日本では考えられないような研究展開が可能、ということを実際に見て感じました。また、研究者が集める社会的尊敬も、日米では大きな差があるように感じました。今後は、日本の研究者の生活がよりよくなっていくことを願っています。

家族にとっても貴重な経験に
また、自分だけでなく、家族にとってもアメリカでの2年間の生活は人生においてとても貴重な期間になったのではないかと思います。子供の言語習得能力は高く、現地校で英語のnative speakerと普通にコミュニケーションをとっていたため、英語の発音に関しては完全に負けました。また、現地校には様々な人種の子供が通っていたので、人の多様性への理解も自然に身についているのではないかと思います。肌色のクレヨンを持って、「なんでこれが肌色なの? アービー(インド人の友達)の肌は違うじゃん。おかしいよね。」と言っており、日本で生活していたら身につかない感覚なんだろうなぁと、感じました。







